パリコレクションに23歳で参加した日々。要求された仕事とは?
パリコレ美容師の向川利果です。
パリコレに参加したのは23歳。スタイリストになって3年目の時です。パリコレクションは、ファッションの世界最高峰の場所。
ファッション界や関係者が世界最高峰、一流の集まりの中に入り一緒に仕事をさせてもらいました。
私は大きな仕事道具を持ち、一人でパリに入りました。
今日はパリコレについて書いていきます。
目次
厳重な会場入りから始まった。
パリに着いた私は、すぐに会場と場所の地図が書いたメモを渡されました。
↑ 当時のメモといつも手放さなかった地図。
とても単純な地図でしたが、多少パリ市内の土地勘はあったし、会場はほとんどが大きな美術館や文化的建造物だったので、迷いなくたどり着きました。
パリに到着して次の日の朝、メトロ(地下鉄)を乗り継いで会場に向かうと、入り口には警備員が立っていてセキュリティーパスワードのチェックをし、名前や身元、などのチェックを受けて入りました。
この時にわかったのですが、セキュリティーパスワードをもった関係者でもなかなか許可が下りないんです。
入り口で許可が下りない関係者がたくさんいましたが、私はそんな人だかりをすんなりと通してもらえました。
理由はヘアメイクは一番最初に入り待機している必要性が高いことと、ヘアメイクの地位が高いからなんだそうです。
RIKA
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バックステージはごった返していた
*バックステージ:ジョンガリアーノ
会場に入ると、バックヤードは大きなブースごとに分かれていました。ヘアメイクブース、ファッションのブースの二つに分かれていることが多かったですね。
ファッションのブースは、モデルの名前が着いたハンガーラックがずらっと並び、そのハンガーラックの横で着替えます。
仕切りなどは何もなく、着替えが始まると、モデルは一斉に着替え始めるという感じです。下着は何も身につけずに、一斉に脱ぎフィッテイングします。
一番初めにヘアー、メイク、最後に衣装のフィッティング、とい感じの流れでした。
人気のモデルは、一回のショーで三回ほど衣装を変えていきます。
ランウェイ⇒すぐ脱いでフィッティング⇒ヘアーやメイクをチェンジ⇒ランウェイ、といった流れですね。
ショーが開催すると、もう流れは止まらないので一気にバックステージの雰囲気は変わります。
RIKA
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要求された仕事
私に要求されていた仕事は、モデルをリラックスさせることでした。技術力やデザインはもちろん重要なんですが、それ以上にコミュニケーションが取れるかどうかを重視します。
海外では日本よりも、ものすごく重視していますね。
著名なメイクアップアーティストは、一枚の写真のためにモデルを1ヶ月間ほど自分の城(自宅)に住まわせ、コミュニケーションを図り、良い表情を生み出す努力をするといいます。
つまり、技術ではなく、モデルありきで考えているんですよね。ファッションも同じで、服とモデルが融合しなければ成り立たない、モデルの人間性も重視されるんですよね。
モデルの最高な状態を引き出すことができるかどうか、良いコミュニケーションができるかどうか、を要求されていました。
RIKA
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始まりはスロースタートが当たり前
ショーは時間通りに始まることは滅多になく、ほとんどが1〜2時間ほど遅れます。30分すぎるのは当たり前なんですよ。
フランスでは、遅らせることが礼儀だ、と言っていましたね。(フランスでは訪問も、10分遅れていくのがマナーなんですよ。)
ショーが始まるまでの3時間以上前から、セットやメイクをしながらの談笑は楽しかったです。
普段のサロンでの仕事をそのまま再現している感じですね。
仕込みの時間がかかるものも多く、下準備をして待っている間に談笑したりふざけたりして、ワイワイと賑やかでした。
モデルとは同世代ということもあり、ファッションやメーク、恋愛の話など、普通の女の子や女性の話題が多かったです。
中には亡命の話や、国籍や人種といったことの悩みの話などもありましたね。日本では持ち上がらない話題もありました。
待っている時間が長いこともあり、バケットサンドやワイン、シャンパンなどの差し入れも多くありました。
RIKA
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スーパーモデルたち
会場入りしたモデルは、スーパーモデルほどピリピリとしていたように思います。
長いファッションウィークの間、需要がある人気モデルは1日に転々とメゾン(ブランドやそのショー会場)を回ります。
ナオミ・キャンベルはいつもかなり遅れてくる人でした。
ほとんどのショーは時間通りに始まらず、終わるのも定刻に終わらない。そのため各メゾン会場を渡り歩く人気モデルほど遅れてくるのが常でしたね。
初めはリラックスしていたモデルでも、ほとんどは時間が迫るうちに緊張感が顔に出てしまいます。
衣装をフィッティングしたことでヘアーが乱れるため、整えようとしても「Non!」と見向きもしないモデルもいました。
ですが、周りがどんな状況でもエレガントにニッコリ笑って「merci!」としゃがんでくれるモデルもいましたが、そういうモデルはやはり人気モデルなんですよね。
人気があるモデルは、余裕があって、周りに気配りをする素敵な女性ら多かったです。感謝することを忘れないですね。
RIKA
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まとめ・・・パリコレクションに23歳で参加した日々。要求された仕事とは?
必ず海外で仕事をする、世界で挑戦したいと目標にしていた夢が、23歳の時にかなったことが今でも不思議な感覚があります。
少しずつ、海外のことも書いていきたいと思います。
RIKAはこう思うよ。
今でも語学の勉強は継続中。
RIKA
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