私がスタイリストデビューした2年生の頃。賞金稼ぎで生き続けた日々。
私が美容師2年生の頃のとても泥臭いお話です。わたしはお金がいつもなく、毎日お昼を抜きながら、お腹をすかせていました。
まだ指名客もほとんどいない私は、コンクールやコンペに出て賞金を稼ぐことしか道はありませんでした。
モデルを見つけ、賞金を手に入れなければごはんが食べれないから必死です。でもそのおかげで次の道へと繋がったんですよね。
今日はそんなお話です。よければ読んでくださいね。
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目次
スタイリストデビューした2年生の頃
美容師のお給料は昔も今も変わらずに低い業種だと思います。その当時ももちろん低かったために、いつも金欠でした。
毎日お腹をいつもすかせていた私は、コンクールやコンペの賞金稼ぎしか方法がなかったんです。
まだ大きなコンクールでは入賞することがなかなか難しかったので、小さなコンクールを狙っていきました。例えば地方でやっているディーラーさん主催の小規模なものなどですね。
よく遠征をしましたが、遠征費やコンクール費用が高くて費用割れしてしまうこともしばしばありました。
会社内のコンペも盛んに行われており、賞金も出ていました。優勝すると3000〜10000円くらいだったと思います。
コンペの種類によって金額が違っていましたが、1ヶ月に何個か優勝すると1万円以上の賞金が手に入りました。
賞金が手に入っても、また練習用ウィックを買いコンクールのモデル使用料や衣装などで消え、相変わらずお腹をすかせていましたよ。
また困っていたのは洋服で、職業柄すぐに汚れてしまうし、その当時はファストファッションがなかったんですよね。
買うのは古着を100円などで手に入れていました。下北沢に買いに行き、まとめて買ってくることをよくしていましたよ。
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会社内のコンペは週に2〜3回
会社内のコンペはいろいろあり、シャンプー、カット、ワイディングなどからほぼ全分野のコンペが行われていましたね。
週に2〜3回は何かしらのコンペが行われていました。例えば、カットなどはテーマやお題が決まっているものから、テーマがないものまでいろいろありました。
また、年数別や店長コンペ、オーナーコンペなども盛んでしたよ。
先輩たちのコンペは気迫が違い、それはそのままコンクールに繋がっているように見えました。さらにチームを組んで、ショートショーを競うこともあり、楽しかったですね。
どんなコンペやコンクールでも必ず各店舗の先輩や店長が声をかけてくれたことが、すごく励みになったんですよ。
否定的な言葉をかけられたことは一度もなく、「よく頑張ったな」「センスがいいな」と声をかけてもらったことは今でもよく覚えています。そのまま美容師として、血や肉になりましたよ。
アシスタントや年数が浅いスタイリストたちにとって、先輩から聞く言葉はそのまま栄養にもなるし毒にもなるんですよ。
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トロフィーに名前を刻みたい
会社内のコンペで優勝すると、大きなトロフィーに自分の名前のリボン札をつけることができるんです。
歴代の優勝者の札が付いており、そこに自分の名前の札をつけたかったんですよね。
優勝するとその大きなトロフィーはサロンに置くことができるんです。これもマーケティングだと思いますが、権威性を狙って若いスタイリストにも箔が付くわけです。
次第に、個々に小さなトロフィーをもらえるようになりました。
毎回、賞状・賞金・トロフィーを用意してあり、表彰式もしてくれましたのですごく嬉しかったです。それもすごく励みになりましたよ。
賞金が欲しい、トロフィーに名前を刻みたい、と頑張る気力が生まれました。
同期には賞金女王、賞金嵐とよく言われていましたよ。(良い意味で言ってくれていたと思っていますが。笑)
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優勝したことをいつまでも口にするな
当時代表の故飯嶋さんが言っていたのは、いつまでもサロンにトロフィーや優勝した宣伝はするな、と言われていましたね。
せいぜい1ヶ月で片付けるように言われていました。
優勝したことをいつまでも口にすることは、前進していないことを意味するからだと言っていましたね。
確かにそれは本当で一度大きな大会で優勝し、その後売上が伸び悩んだ美容師をたくさん見ています。
本来コンクールは自分自身と向き合うことで、優勝したからお客様が選ぶ理由にはならないんですよね。
RIKA
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まとめ・・・私がスタイリストデビューした2年生の頃。賞金稼ぎで生き続けた日々。
私が美容師になってから2年目、スタイリストデビューしたものの、指名客も増えず売上も伸びなかった頃。
他人と比べることをせずに、前進していていました。無我夢中でしたよ。
RIKAはこう思うよ。
賞金は本当にありがたかった。
RIKA
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