私がアシスタントだった頃。ワンレングスで何度も不合格し泣いた日々。
こんにちは!RIKA( @rich.beauty.tokyo)です。
今日は私がアシスタントだった頃を少し書いてみようと思います。
ずいぶん昔の話のように感じますが、入社一年生の頃は今でもはっきりと覚えています。先輩に言われたことや、お客様に言われたことなど、一つ一つ鮮明に覚えています。
最初のワンレングスカットがなかなか合格しなくて、泣きながら帰ってきたことなど書いてみますね。良かったら、読んでみてくださいね。
目次
私のアシスタント時代は11ヶ月半。
美容師になると第一の目標はアシスタントからスタイリストになるために頑張りますよね。私も早くスタイリストになりたかったから、毎日朝晩と練習しました。
スタイリストになれたのは、入社して11ヶ月半の3月の半ば頃でした。
スタイリストまでは平均3〜4年と言われていますから、1年満たないでスタイリストになれたのは嬉しかったですね。
2月にヴィダルサスーンに行き、帰ってきてからすぐだったと思います。生まれて初めてのお客様は4歳の男の子でした。
サスーンから帰ってきたばかりの私は、早速サスーン仕込みのカットをしたんですね。
その当時のメンズカットは世界的に見てもGIカットのようなデザインが主流でしたが、サスーンは全く違っていました。
今では当たり前のメンズカットの、もみあげや襟足を柔らかく残したデザインだったんですよね。この柔らかいデザインでカットしたところ、その男の子のお母様からは「もみあげをバッサリ切ってほしい」と言われたんです。
でもその4歳の男の子は、小さな両手でもみあげを隠して「嫌」と言ったんです。小さな男の子がそのデザインを気に入り、自己主張してくれた姿がとっても嬉しかったんですよね。
初めて自分のデザインを気に入ってもらえたって、美容師にとって喜びしかないです。
結局その男の子は私が美容師をやめるまで、引っ越しても、結婚し子供ができても通い続けてくれました。
初めてカットした男の子が、初めての指名客になり、退職する時にも挨拶に来てくれました。
RIKA
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環境がとても良かった
私が入った会社は、練習するのはアシスタントだけでなく、店長もみんな練習する環境でしたね。
私が入社した当初、会社の代表故飯島さんはコンクール10連続優勝、延べ床面積生産性日本一、という実績でした。またコンクールの神様と言われていました。
会社に集まってくる美容師は、みんな一番になりたいという志を持っているから、役職や年数に関係なく練習していましたね。
そんな環境でしたから、練習は自分のためにするもので、だらだらと嫌々で練習している人はいませんでした。
環境というのは本当に大事で、どんな環境で学び、誰から学ぶのかで大きく変わります。
RIKA
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みんな隠れて家で練習していた。
本当は、「私は練習してきました」なんて言いたくないんですよね。
練習は当たり前だし、「これだけ練習しました」なんて口にすることは恥ずかしいものです。美容に限りませんが、勝者は血の吐くほどの練習をしていますから。
そういった人たちを見てきてますから、私の練習量は少ないし甘いかもしれません。
同期でもテストにすぐ合格する人は、家でも練習していましたしね。同期や先輩の家に行っても机にウィック台があり、練習している様子がわかりました。
そういう環境だったので、私もお店で練習した後に家で練習することを毎日繰り返していました。
また実家は美容室で両親とも美容師ということも良かったかもしれませんね。父や母がいつも営業後に練習していたのを見ていたので、練習することは自然なことでした。
父や母は芸能人を担当することが多く、母は世界大会出場していたので、今思うと向上心が高かった両親だったんでしょうね。
RIKA
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ワンレングスで何度も不合格し泣いた日々。
シャンプーからスタートし色々テストがある中で、カットの基本のワンレングスで何回も不合格になりました。
テストの帰りの電車で、ウィックを抱え泣きながら帰ってきたことが何度もあります。
私がアシスタントの頃の試験官は、代表含め全店舗の店長が採点していました。先ほども書いたように、代表や店長は優勝者ばかりだったので、なおさら厳しい採点でした。
代表の飯島さんにワンレングスの採点をされた時に、「お前のところではこんなカットを教えているのか」と店長が叱責されてしまいました。
ワンレングスほど、カットのレベルがはっきり出るものはないと今でも思っています。
下手な自分を再認識してしまうから、実は今だにワンレングスは苦手意識がありますね。ちょっと心残りです。
RIKA
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まとめ・・・私がアシスタントだった頃。ワンレングスが何度も不合格で泣いた日々。
思い出してみると、楽しかったことしか浮かばないです。
良い環境に恵まれ、良い先輩や後輩、同期、お客様に恵まれて感謝しかなかった美容師人生でした。
RIKA はこう思うよ。
楽しかったよ。
RIKA
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