パリコレの日々。フランス人の友達ジュリアンとライフスタイル。
パリで仕事があった時、いろいろな出会いがありました。中でも、フランス人の友人ができたことで、次から次へと友人が増えていきました。
フランスは大陸で地続きなので、国境を超えて様々な国籍の人たちが行き交い、生活しています。そのためパリで仕事をした時は、様々な国籍の人たちと関わりました。
このパリ行きは私の人生の中でも大きな意味をもっています。なぜなら今までの自分の考えや思考、感覚や感性までもガラッと変わってしまったから。
今日は仕事でパリに行き、フランス人のライフスタイルを書きたいと思います。
目次
パリで友達になったジュリアン
23歳の頃、一人でパリに仕事で行き、パリで一緒に仕事をした中の友人Cさんから、「ジュリアン」というフランス人男性を紹介されました。
確かパリに着いた当日に、「これから友人と会うけど一緒に来ない?」と仕事仲間に誘われたのがきっかけだったと思います。そのまま3人でジュリアンのアパートメントに行くことになったんですよね。
驚いたのが、誘ってくれた仕事仲間の友人Cさん。この仕事仲間の友人Cさんはパリで初めてお目にかかり、会った当日に『自分の友人を紹介する』と言ってきたこと。
さらに驚いたのは、この紹介されたジュリアンに、初めて会ったばかりの私を自分のアパートメントに招いてくれたことです。日本では、どんなに親しくなっても、滅多に家に招待することは少ないですよね。ほとんどが外で会うことが多いし。
それからパリに居た間は、毎日のようにジュリアンと友人のCさんと会い、仕事の休憩中や終了後に遊びましたよ。
イギリス人も日本人と同じで、どんなに親しくなっても表向きだけ。家に招待することはないんですよね。だからロンドンではそこまで親しくなれた友人はいません。
RIKA
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ジュリアンのアパートメントは築100年以上
ジュリアンの住んでいたアパートメントは100年ほど経っている古い建物でした。フランス映画に出てくるような暗いらせん階段に、黒いコードに小さな裸電球が、行先を照らしながらいくつもぶら下がっていました。
部屋は日本の2K(部屋2つ、バスキッチン)、トイレは共同というスタイル。トイレは経験したことがないスタイルで「トルコ式トイレ」というもの。
トルコ式トイレは、和式トイレに似ていて水を流すヒモ(金属製)が上から垂れていて、それを引っ張るんですが、引っ張ったらとにかく瞬時に離れないと、水が勢いよく足にかかります。
100年以上の古い建物がパリには残っていますが、ほとんどがこのトルコ式のトイレですね。また、ほとんどトイレットペーパーは備え付けられてないので、常にティッシュは必須ですよ。
ちょっと日本では考えられない状況を目にしたのが、バスルームでした。バスルームとキッチンは横並びになっていたのですが、バスルームといっても壁や仕切りはなく、カーテンで仕切られているだけ。バスタブはフランス映画に出てくる猫足のバスタブ。
が!しかし!目にしたのは「バスタブの中に洗濯機」があったこと。
理由を尋ねたら、お風呂やシャワーは故障で使えないので、狭くなるため洗濯機を置いているとのこと。「え?!じゃあ、お風呂はどうするの?」と聞いたところ、「頭はキッチンで洗い、体はタオルで拭くだけ」と言っていました。日本なら、銭湯がありますが、フランスには滅多にないですからねー。
日本人の綺麗好き、風呂好きは世界でも有名ですが、この時代でもフランス人はシャワーやシャンプーは週に2〜3回程度と言っていましたから驚きました。そのため体臭を香水で消すのだそう。
RIKA
部屋は白壁、出窓、暖炉があり、暖炉の上にはキャンドル鏡台がありました。よく日本のファッション誌に出てくるようなインテリアでしたね。天井の照明は裸電球でしたが、暗くなっても電気をつけずに床にべったりと座って談笑しました。
ジュリアンは日本でモデルの仕事をし、フランスではスタイリストの仕事をしていました。なので、部屋はファッションブースのようになっていて、3段の棚に服をまるでショップのように陳列していましたよ。
しかし、そこに陳列してあった服はかなり古いもので、古いというよりも、かなり流行遅れのようにも見えました。そう、日本人が描くフランス人のシックでモダンな感じではないんですよね。
RIKA
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ジュリアンのルームメイトは日本人
ジュリアンは日本人の女の子とルームシェアしていたんですが、その女の子はファッション関係の専門学生で留学をしていました。
アパートメントに遊びに行った時に、ジュリアンからそのルームメイトの女の子Aさんを紹介され、ずいぶんと話しました。というのも私は美容師よりもファッション関係の仕事をしたいと思っていました。なので、服飾で留学していたAさんに興味がありいろいろな質問や話を聞いて、捨てきれない夢が再燃した記憶があります^^
そのルームメイトAさんは、実はジュリアンとあまり仲が良くないそうで、「今もケンカ中で口をきいてない」そう。ルームシェアしている相手と険悪の仲というのはストレスだろうなと思いました。
なので表面上は私たちと仲良く話をしていましたが時々日本語で「ジュリアンが怒っている」と言っていましたね。ジュリアンは日本語がわからないので、彼女は陰口のような形で嘆いていましたよ。
その当時の日本では「ルームシェア」がほとんど聞かなかったので、いいなと思いましたよ^^
RIKA
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ルームメイトの友達がロンドンからやってきた
翌日に再び、ジュリアンと友人Cさんと三人で落ち合い、パリの街を散策しました。パリの街を歩いていると、ジュリアンの知り合いのモデルや友人たちとしょっちゅう出会い、その度に紹介してくれましたよ。
ジュリアンは元モデルなので、一緒に歩いているとすれ違う女性たちの視線がジュリアンに釘付けなんですよね。フランス人から見てもイケメンなのがよくわかりました。
夕方になり、待ち合わせの場所に行くと、ルームメイトAさんの女の子の友人たちを紹介してくれました。イギリス人の男の子4〜5人ほどでしたが、とにかく奇抜なファッションしていて、とにかく目立つ!
行き交う人や通り過ぎる車から、歓声にも似たかけ声をかけられ、一緒にいる私たちも同じ仲間として(なぜか)賞賛を浴びました。彼らはイギリスの服飾の専門学校生で、自分たちが創作したファッションを着ていたんですよ。
とにもかくにも、そのファッションは奇抜なデザインだし、よくその格好で公道を歩けるなぁと思うくらいでした。さながらファッションショーのような感じでしたね。
今でもはっきり覚えているそのファッションは、すべて透明のビニールでできていて、下着を履いていないんですよ(!!)だからパリの人たちは歓声をあげていたんですよね。
RIKA
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パリコレにも来てくれたジュリアン
さて、パリコレの期間中ファッションウィークは、ともかく移動が多い。朝に会場の行き先の地図とメモを渡され、仕事用の大きなバックを持ちメトロを使って移動しました。
当時はスマホもない時代、使い古しの地図のハンドブックを片手に移動しました。ほとんどの歴史のある建物だったので、すぐにたどり着きましたが、メゾンの中には広場に大きなテントを張った会場もありましたね。
確かジャンポールゴティエを担当した時、ショー終了後にバックステージにジュリアンが遊びにやってきました。ショーの間に飲んでいたらしく、少し酔っていたようでした。
※仕上げたあとに、廊下で待機しているモデルたち。待機中はよくいろいろなおしゃべりをしました。(ファッションのこと、政治や人種のこと、恋のこと)
その時の建物はとても古い建物で、演出が「パリの地下鉄の居酒屋」というテーマでしたから、薄暗い中で裸電球がぶら下がっていて、哀愁漂う雰囲気でした。
周りは黒いカーテンで囲まれていて、光は裸電球のみ。実はこのカーテンの隙間から、ショーの様子を観察することができました。この時、護衛さんは「君たち女の子は見てもいいけど、男はダメ」とウィンクしながら「内緒だよ」と言って、カーテンの隙間から光が漏れないように、そっと見ることができました。
※護衛さんからお許しをもらい、バックステージから撮った写真(フラッシュは当然できないのでぼやけてますが)
さすが、レディーファーストの国ですね。
RIKA
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まとめ・・・パリコレの日々。フランス人の友達ジュリアンとライフスタイル。
仕事の合間に、たくさんの人と出会い、交流しました。フランス語はこの時は話せなくて残念でしたが、帰国後は少しずつフランス語を学びました。独学で仏検を受講し合格しましたが、使っていないと忘れますね。
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RIKAはこう思うよ。
パリは楽しかったよ^^
RIKA